理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

ある理容店経営者の人生が変わった一枚の手紙

今回の内容【理容師の仕事】
 
 
一昨日、紹介させていただきました↓↓↓以下の皆さまへのお願い事。
 
 
もしご協力いただけましたら幸いです。
 
 
最近読んだ本には「フェイスブック人と会うためのツール」
 
と、書かれており参考になりました。
 
そこで、私なりに行動してみたのが本日です。
 
 
毎度どうもです。コンバンハ。
 
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
 
知らないうちに右腕にアザができた理美容教育出版の関口です。
 
何か変な虫に刺されたかな?
 
 
本日伺ったのは、株式会社エフライム名倉 潔代表
 
中央理美容専門学校の先輩で、ひと回りほど年上のダンディな紳士。
 
その名倉さんがフェイスブックに投稿し、かなり感動した内容は以下ですよ。
 
 
 
かなり長文ですが、読み応えがたっぷりあります。


 
25歳で起業したものの10年後に辞めたくなり
その時に相談させていただいた尊敬するお客様からのお手紙
 
 
先日のお手紙を拝見しました。
 
私のことについては買い被りもよいところで、
 
相当誤解しておられるようです。
 
お断りしておきたいのは、
 
私、おっしゃるような立派な人間でもなく、
 
人さまの頼りになれる程の力量も持ち合わせておりません。
 
 
従って、本稿で貴君に適切なアドバイスや教示やらを申し述べようとは思っておりませんで、
 
ただ、お悩みは相当深刻なものであるとの認識に立ち、
 
その悩みを私如きにご相談いただいたことを身に余るものと真摯に受け止め、
 
誠意を持って私なりの感想を述べ、
 
少しでも貴君の憂鬱が晴れるならば、と願っております。
 
 
さて、誰でも事業を始める時は、
 
夢を持ち期待に胸膨らませてスタートする筈であります。
 
これは、サラリーマンが入社する時も同じです。
 
ところが、現実は以前に想像していたものとのギャップが広く深いものであると気が付き、
 
否応なしに挫折感を味わう羽目になります。
 
 
多かれ少なかれ、人の一生で挫折経験の無い者はいないと思います。
 
もし、仮に挫折経験が全く無く人生を終える人がいるとすれば、
 
その人は若くして亡くなったか、余程の悪党か、死して神様になる人か、いずれかでしょう。
 
人生における挫折を、「車のノッキングと同じようなものだ、カックンカックンしながらも走る」
 
との例えがありますが、言いえて妙ですな。
 
 
大概の人は、挫折した時の対処に仕方を、
 
現実に一定の理解を示し妥協して乗り越えます。
 
その時の妥協する自分を納得せしめる理由は、生活保全でありましょう。
 
ところが、一部の人は決して妥協しようとせず、方向転換するか、
 
病気(5月病のようなもの)になって、現実から逃避します。
 
 
私も、何度か挫折を味わいましたし、これからも経験することでしょう。
 
ただ、振り返って反省してみると、私の場合は他を無視した自分勝手な思い込みや、
 
見込みが外れたケースがほとんどでした。
 
 
即ち、会社生活でも、事業でも同じですが、
 
他人や社会に必要とされるために努力しなければならないのに、
 
自分に必要であるから努力するという、得手勝手な努力をしてしまうのです。
 
分かり難いと思いますが、事業が生き残り安定継続するためには、
 
世の中や人々に必要とされ続けることだとは誰でも分かることです。
 
 
ところが往々にして、自分にとって、企業にとって、利益をもたらす人が必要だから、
 
そのための対策を色々と考えるのが普通です。
 
似ているようですが、全く異なる結果が生まれます。
 
何故か、努力の原点が、他人の要求か、
 
自分の要求かによってアイデアが違ってくるからです。
 
 
他人の要求に添った努力は、他人の要求を分類することから始まり、
 
それを満足させるために経営的に実現可能な領域で対策が練られる訳ですが、
 
自分の要求が原点の場合は、自分にとってどういう客が、どの程度必要であり、
 
そのためにはどのような対策が必要かとなる訳です。
 
 
例えば理髪業の場合、その営む地域に必要とされるためには、
 
地域の人々が理髪店に期待する要件を知らなければ答えを得ることは出来ません。
 
私は素人だから良く分かりませんが、
 
人々の期待する要件は以下のようなものと考えられます。
 
 
a.店が清潔である
 
b.雰囲気が良い
 
c.料金が安い
 
d.デザインが豊富である
 
e.仕事が速い
 
f.技術が高い
 
g.待たない
 
h.店が近い
 
i.愛想が良い
 
j.サービスがある
 
k.やる前に丁寧にデザインを聞いてくれる
 
l.話を聞いてくれる
 
m.話し掛けてくれる
 
n.子供の扱い方が上手だ
 
 
…etc数え上げればきりがないと思います。
 
 
そこで、これらの要件をよく見ますと、
 
誰でも共通する要件と世代や個人によって重要度が異なる要件が見て取れます。
 
 
例えば、若者は概ね、d.f.k項が最も重要な要件であり、
 
その他は副次的なものとなりますから、
 
若者に人気を得ようと思えばd.f.kを重視した対策を立てるべきでありましょう。
 
 
また、近隣のビジネスマンを獲得するためには、c.e.g等が重要であり、
 
子供を獲得するためには、h.j.n等が要件となり、
 
年寄りには、i.l.mが重要なのかもしれません。
 
 
更にその上に、個人によって要求品質が異なりますから、
 
速やかに巧みにその人の個性や嗜好を察知することも肝要なこととなります。
 
一方、自分の要求が原点になると、口先だけの商売になりやすく、
 
広告を出してみたり、ダイレクトメールをやったり、店を良く見せようと無駄な設備をしたり、
 
必要以上のオベッカを使ったりと、長続きしない方策をやるものです。
 
 
およそ、折角来ていただいたお客様との縁を大切に、
 
短い時間に如何に楽しく過ごさせるかの基本的な精神に欠けるものに、
 
無駄な努力傾注していることに気が付かない場合が多いのです。
 
お断りしておきますが、貴君のお店のことを言っている訳ではありません。
 
そういうお店が多く認められるのです。
 
 
最近、激安の理髪店が多く出てきました。
 
これは、料金が安いことを最も重要視している客層を取り込み、
 
あとは清潔性や速い、近い等の条件を具備しているだけです。
 
 
では、それだけのみ客の要求を満たしているお店が、なぜ流行るのでしょうか。
 
一つには理髪業組合側の生活保全のための安易な料金統一にあります。
 
一般的に料金の自由化は店の乱立を助長しそうですが、それは逆で、
 
統一料金こそ原価計算が容易ですから、乱立を招くことになります。
 
 
また、客側が自由な予算選択が出来ないことも弊害です。
 
いかなる市場でも、デフレの時以外は、金を握っている側が主役です。
 
その主役の要求品質に添った対策を行うことが重要なのは自明の理です。
 
 
人々は、より安いものを求めているような風潮が盛んに言われておりますが、
 
古今東西昔から人間の本質は簡単に変わるものとは思われません。
 
人間の生活様式が多様化して、
 
必要とするものに対する要求品質が複雑化しているだけだと思います。
 
誰だって、安い服と高い服の両方を持っている筈であります。
 
そういう多様化時代を敏感に反映させているのが、スーパーであり、デパートであります。
 
 
例えば、ダイエーが安いものだけ売っているかといえば、
 
必ず店内に高級専門店をテナントしております。
 
場合によっては、魚屋や衣料品等競合する店さえもテナントします。
 
それは、安いものだけを置くと、限られた要求品質を持つ客層だけが集まり、
 
肝心の金を持っている客層が来なくなるからだと思います。
 
 
最近では、デパートもその事に気付き、
 
今までの客層のプライドを損なうことなく、
 
また新しい客層を確保するために、
 
産地直送の良い品物を安売りする策を労しております。
 
 
このように、いろんな事業が定まった評価を嫌い、
 
いかなる要求品質にも対応出来るように、内部改革を推し進めています。
 
従って、理髪業といえども、客の多様化する要求品質に応えるべく、
 
努力することが最も肝要なことと思います。
 
 
さて、これまで、好き勝手なことをペラペラと述べてきましたが、
 
これは未だ迷っている貴君に再考の余地があればと思ったからです。
 
 
貴君は、自分がこの商売に向いていないのではないかと述べておられます。
 
きついことを言いますが、私はこの商売が貴君に向いていないと考えるべきだと思います。
 
商売の内容は変化できる性質のもではありません。変わり得るのは人間の方です。
 
だから、私は貴君がこの商売向きに変わり得なかったと思うのです。
 
そのことを良いとか悪いとか言っているのではありません。
 
正確な認識を持つ必要があると思うからです。
 
 
では、なぜこの商売向きに自分を変えられなかったのでしょうか?
 
変えれば自分の何かを無くすと恐れたのでしょうか。
 
それとも、立ち退きのことやら、客数の減少から、
 
嫌になって出した結論ではなかったでしょうか?私には分かりません。
 
 
ただ、今の段階で注意しなければならないことは、
 
自分に最適な職業を探しあぐねるより、
 
選んだ職業において必要とされるべく、
 
自分を変化せしめる努力の方が近道であり、
 
確かな方法であると思われてなりません。
 
自分に合った職業は、そう簡単に見つかるとは思えません。
 
 
これから、転職するにしても、再考するにしても、
 
自分を捨てて掛からなければ、自分を必要とされないし、
 
大切にされないということを再認識されることを切望します。
 
正直な感想を述べますと、折角9年間も歩き続けてきた道を、
 
なぜ放棄するのか理解に苦しいところです。
 
 
サラリーマンの道も、個人事業者の道も、
 
心構えにおいては同じことを要求されます。
 
なるほどサラリーマンは、一見気楽なように見えますが、
 
内情は個人事業主より無理難題の要求は多く、
 
目標を持たされますし、怒鳴られ、叱られ、
 
脅されているのが実情ではないでしょうか?
 
 
貴君は、毎日が同じことの繰り返しで、新鮮味もないし、
 
人の頭をいじって一生を終えるのかと思うと、
 
自分の価値がないような気がしているのではと推察するのですが、違いますか?
 
 
だとすると大変悲しいことだと思います。
 
 
生意気なようですが、
 
理髪業とは人の頭をいじることだけを目的としているのでしょうか?
 
先にも述べたように、客とは、要求や不満を満たすために来る訳ですから、
 
ただ単に頭を刈りに来るだけではないと思います。
 
 
それは手段であり、動機ではありません。
 
動機は、若者であれば外で良く見られたいとか、彼女を作りたいとか、
 
印象を良くするとか自己主張でありましょう。
 
 
年寄りであれば、悩みの一つも聞いてもらいたいとか、
 
自説を傾聴してもらいたいとか、暇つぶしとかでありましょう。
 
それらの動機を察知して要求に応えることが貴君の仕事ではないでしょうか?
 
即ち、店の置かれた地域社会で、
 
縁あって来店される人々の数十分間の幸せを実現することが、
 
貴君の仕事ではないでしょうか?
 
 
サラリーマンになること自体は、なってからのことを抜きにして、
 
たやすいことですし、何時でもできます。
 
なってから、いかなる事態にも我慢出来るように、
 
今一度、過去を振り返り、初志を思い起こし、
 
熟考した後に結論を出されたらいかがでしょうか?
 
そう切に願いたいものです。
 
 
当社で、拙者と一緒に仕事をしてみたいとの希望は、その後に考えましょう。
 
いろいろ考えてみて変わらなければ、そのとき改めて相談することにしたいと思います。
 
 
最後に、貴君の本当の悩みに少しでも役に立ったかどうか、逡巡するところですが、
 
私という人間が人間ですから仕方がありません。
 
相違する方が悪いのです。悪しからず、勘弁願います。
 
 
では、これにて。
 


 
 
今日伺った際には、このお手紙の封筒を見せていただきました。
 
 
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おっと。忘れるところでした。
 
名倉さんが、来週7月23日(月)に開催する
 
東京・理容師カフェ オトナの理容運営管理の懇親会に来ていただきます。
 
かなり嬉しかったりします。
 
ありがとうございます。

投稿文字の制限数ギリギリなので、この辺で失礼します。