理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

理容の歴史

本日は、ちょっとした調べモノをしており、

弊社出版物PROF-RIKEI(プロフ・リケイ)のバックナンバーを、創刊号から見ていました。


余談ではありますが、弊誌は1963年(昭和38年)に創刊。

当時は理容と経営と言う雑誌名で、その後、RIKEIとなり、そして現在に至ります。

創刊から数えますと47年と言う歴史があったりします(自慢)。


60年代から現在までの理容店の外観を、見ていきましたが、何と言いますか、

この手の調べモノは苦手で、なぜかと言いますと、思わず読み込んでしまうからです。


「へぇ、今では偉そうにしている、あの人も、こんな若い時代があったんだ」

「あっ! 有名なメンズ専門店の本店って、この時代にリニューアルしたのね」

「すっげー。70年代からレセプションなんて言葉が使われていたんだ」

「出店マーケティングって、かなり前から行なわれてたのかぁ」


そんなこんなで、当初予定していました調査時間の1時間の倍の時間が過ぎても

当初の半分しか調べモノは進みません。

結構、楽しいんです。

もし興味がある方は、弊社にご来社いただければ、見る事ができますので、ぜひご利用くださいな。


さてさて、本日は60年代から80年代までの弊誌を見ていたのですが、

そこで感じたのは、70年代までは、ヘアサロンの内外装に対しても「へぇ~」と

どこか懐かしい趣きが多く、それは、ある意味、カッコ良かったりもしました。


ですが、80年代になりますと「歴史がある理容店は、今でも、こんな内外装だよなぁ」と感じる事しばしば。

言い換えれば、その時代から時間が止まっている理容店も少なくない、となります。


80年代と言えば、後半はバブル景気真っ只中。

オイラは中学もしくは高校生で、90年代前半に理容学校へと進学しています。


理容業界が衰退していると言う表現は、正直使用したくありませんが、

現実を見ると、業界人口に陰りがあるのは事実です。


いつもお世話になっているMaijor7(メジャーセブン)曰く

ある時期の経営判断の誤りが、現在の理容業界に対して影響をもたらしていると分析していますが、

本日、バックナンバーを調べた感想では、どうやら80年代から90年代に何かが起こったと思いました。


バブル景気が経営判断を鈍らせ、景気は失われた10年と言われる時代に突入するものの、

92年には世界大会で優勝し、日本の理容技術が世界一と言われ、何となく明るい兆しを感じる。

さらに、理容学校には団塊世代ジュニアが入学するので、とりたてて人材に困る事はない。

当時を振り返りますと、そんな状況だったと思います。


また、社会保険などについても今ほどうるさくなく、働く側も雇用する側も比較的、

どこか牧歌的(ぼっかてき)な雰囲気だった事を覚えています。


就職先を、担任の先生任せと言う同級生も、事実いましたし、

労使間には「仕事を教えてもらっている」「大切なお子さんを預かっている」

そんな風潮があり、別段トラブルになりませんでした。


しかしながら、この時代に何かがあったと思うのですが、皆さんは、どう考えます?


ダーウィンは、確か、このような言葉を残したと記憶しています。

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない」

「最も頭のいいものか。そうでもない」

「それは、変化に対応できる生き物だ」


なんか、偉そうな事を書いて申し訳ありません(土下座)。

では。