徳川秀忠(とくがわ・ひでただ)。
戦国時代を終焉(しゅうえん)に向かわせ、平和な時代を築き上げた徳川家康の3男。
江戸幕府開幕から2年後、父・家康から第2代征夷大将軍を任命され、
全国統治の最高責任者となった。
約4万とも言われる軍勢を率いつつも、信州・上田で真田昌幸の軍勢2千名に足止めされ、
関ヶ原の戦いに間に合わないと言う失態に重ね、その後の大阪冬の陣では、
戦場へと急ぎに急ぎ、今度は兵卒たちが疲弊(ひへい)し、とても戦場に向かえる状態ではなかった。
このような話が印象深い為だろうか、どうしても愚鈍(ぐどん)で影の薄い存在となっている。
しかしながら、公家諸法度、武家諸法度などの法整備、参勤交代の素案を提案したりと、
守成は創業より難しと言う家康の期待に対して、それ以上の結果を残した。
さて、その徳川秀忠がヘアサロン経営者だったら、どうなるのだろうか。
好き勝手に想像してみたい。
父親は理美容業界内で大成功をおさめ、安定した経常利益を継続している。
全国展開の店舗数。
スタッフ数も数百名を超える。
引退したとは言え、まだまだ影響力がある父と、古参の幹部スタッフの存在。
そんな状況下の二世経営者。
比較対象されるのが、常に父。だからこそ、物足りなさが残る。
若気の至りで、父を超えようと必死に取り組み、それが逆に空回り。
ますます、周囲の評判を落とす。
だが、ある時期を境に考え方を変える。
「守成は創業より難し」
この言葉を父から聞かされ、自分なりに取り組む事を考え、そして着手する。
与えられた経営資源を無駄に使わない。
自分は偉大な父とは違い、素直に弱みを語る。
その上で、自分には足りない部分を補う事を部下に求め、次第に信頼できるブレーンが育つ。
土井利勝、酒井忠世など、秀忠を協力にサポートしてきたスタッフが、この時代でも生まれる。
そして公家諸法度、武家諸法度のようなサロン内の各種ルールを構築し、
徐々に、スタッフの信頼を得ていく。
最終的には、父が成しえなかった社会保険や教育システムなど、
地味ではあるが組織として必要不可欠な事を、一つひとつクリアする。
おそらく、この時代であっても別段目立つ存在ではないと思うが、
その実、父には出来ない事を黙々とこなす事務的な経営者になっていると想像できる。
それが、その後の盤石(ばんじゃく)なサロン経営の礎となる。
ただし、恐妻家としても有名な秀忠。
それは、この時代でも変わらないと思う。
その気持ち、何となく分るよ。。。