昨晩は、飲み会マーケティング総合研究所の活動でした。
お相手は、数店舗理容店を経営している経営者です。
その方はカリスマ性のある創業者の後継者として、昨今、代表に就任しました。
某理容店で修業を重ね、コンテスターとして活躍していた時期もあるのですが、ふとこんな事を言います。
「修行先の卒業って2回あるんですよ。お店を辞める卒業と精神的な卒業」
師匠と弟子と言う関係が永遠に続く事は良いのですが、
師匠が弟子の経営手法に対しても介入するケースは少なくありません。
要は、俺流のやり方もマネしろと言わんばかりの師匠に対して、そのまま受け入れてしまう弟子。
師匠からしますと、技術を手取り足とり教えていた弟子ですから、そのような心境も理解できます。
しかしながら、弟子の卒業後は師匠と弟子と言う関係に加え、
時には経営者と経営者、といった対等な目線になる必要もあると思うのです。
それが「精神的な卒業」であると言います。
「物事には賞味期限と言うモノがあり、全てではありませんが、経営手法にも賞味期限はあります」
もちろん、古き良き伝統や文化は引き継ぐべき事柄ではありますが、
時代にそぐわない経営方法などが存在するのも事実。
そして、残念ながら、そこに気付かないケースは結構多いのです。
「師匠を先生と呼ぶのではなく、○○さんと呼べるか否か。そこが重要だとも思っています」
オイラも同感で、なるべく○○さんと呼ぶようにしていますが、
まだまだ先生と呼ばなくてはならない状況は確かにあります。
「理容業界でも有名な先代と師匠。この二人の経営スタンスの良い所は引き継ぎ、
しかし、時代にそぐわない一部の手法に対しては改善を加えています」
「これは、ある意味、先代と師匠を否定しかねない事であり、大変なんですよ」
江戸幕府を開幕した徳川家康に対して、その治世を引き継いだ秀忠の心境と同じなのでしょうか。
賞味期限と師匠からの卒業。
今回の飲み会マーケティング総合研究所では、そのような話で盛り上がりました。
では。