理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

理美容専門学校の個性とは

本日は、アーデン山中ビューティアカデミーを取材させていただきました。

同校は少数精鋭主義を貫き、現在では1学年1クラスとなっています。


お忙しいなか事務局長に協力していただき

今は亡きアーデン豊子 山中初代校長の話を教えてもらいました。


そこでは、何と言いますか、凄い人だった事が伺い知れます。

印象深い話の1つとしては、

10代前半でアメリカに渡ったり、終戦後の占領軍の風紀が乱れている現状に対して

ダグラス・マッカーサー元帥がいるGHQに単身乗り込み、英語で文句を言った事です。


マッカーサー元帥は、あいにく不在だったらしいのですが

「オイオイ、いくら戦争で勝ったとは言えさぁ」

「えーっと、何だっけ? そうそう。占領軍っつーの?」

「要は、お宅の部下、やりたい放題やんけ!」

「女子供が、怖くて外出もできないのよ!」

「あんた責任者じゃんか」

「だから、何とかしろっつーのマッカーさんよ!」


あくまでも想像の域に過ぎませんが、要は、当時の米軍による治安に対する不満を

直接、スマートな英語で文句を言ったのが山中氏。

これが米兵高官夫人の間で評判となり、ヘアメイクなどの教室を開催するなどして

そこから、米軍基地内の売店などとの御縁が生まれます。


理美容師の資格が、有名無実だった時代を経験している山中氏だからこそ

現在の同校でも、美容師資格の合格を第一として、

そこから、美容全般の技術習得を目的としています。


また、来る者、拒(こば)まずと言う建学の精神も引き継がれており、

近年では59歳の新入学生を受け入れて、美容師国家試験に合格、現在でも美容師として働いています。

その新入生は、色んな理美容専門学校に対して入学相談をしたのですが、結局、どこも断られ

最終的に、同校を訪ねて来たと言います。


そうそう。こんな話も聞けました。


山中氏は広島出身とあって、美容師を志す原爆被爆者に対しても

他校が受け入れに対して二の足を踏む中、一肌脱ぎます。

米国で美容整形を行なう手筈(てはず)を行ない、そして美容師教育を施したと聞いたのですが

そこから、山中氏の人柄が、何となくではありますが理解できます。


技術だけではなく、手の温もりも伝えたい。

だから、どうしても少数精鋭教育になってしまう。


カリスマ美容師ブームの時、敢えて受け入れ学生の数を減らしたのが、

そのような理由があると教えてくれました。


アーデン豊子 山中氏。

今ではもう、直接、お話を聞けないのが残念です(泣)。


理美容専門学校を取材していますと、各校とも個性と言いますか、

立ち上げた方々の想いが伝わってきます。


一昨年、昨年の取材などから、各専門学校の印象は次の通りです。


教育者育成の中央理美容専門学校(旧・中央理容専門学校)。

美容師以外の資格取得にも力を注いでいる山野美容専門学校

芸術的要素が強い日本美容専門学校。マインド(心)教育に力を注いでいる国際理美容専門学校。

技術力の向上を意識している国際文化理美容専門学校(渋谷校)。

地域のイベントに対して積極的に参画し地元密着を意識している国際文化理美容専門学校(国分寺校)。

そして、本日取材させてもらったアーデン山中ビューティスクールは、資格取得と手の温もりの伝承。


理美容専門学校を取材していると、初代校長の想いと言いますか、個性が想像以上に伝わってきます。

面白いです。

残念なのは、その想いが後継されていないケース、それが案外多いと言う事。


本日の感謝。

理美容学校の取材をしていますと、ほんの少しですが

理美容業界創成期に活躍した創設者たちの想いが理解できました。

言い換えれば、混乱期の理美容師に不足している部分に対して、

根幹部分に着目し、自己犠牲を行ない、そして、学校教育と言う分野から改善を考え、そして実行した。

まだまだ修行中のオイラですが、先人達の想いを知る機会に感謝です。


明日の夢。

取材しっぱなしで、原稿をまとめていません。

休日なので、原稿を打ちたいです。

と言うか、打たないと、来週以降が厳しくなりそう(汗)。

つーか「ブログ更新しているヒマがあれば、原稿、打てよ!」

そんな突っ込みが聞こえてきそうです。すんません。


では。