理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

織田信長がヘアサロンを経営したら

過去の同コーナーを読んでいると、マニアック過ぎると反省したので、

今回は歴史上の人物でもメジャーな織田信長をテーマに取り上げてみたい。

諸説諸々あるが、桶狭間の戦いで約10倍以上の敵勢を奇襲攻撃でうち破り、

華々しく戦国デビューを果たした信長。

その後も、当時としては高価な武器であった鉄砲を3000丁以上集め、

戦争は経済力で勝利することを見せつけた長篠の戦いなど、活躍の場は広い。

信長=改革者というイメージを抱いている方も多いのでないか。

さて、そのような信長がヘアサロンを経営したら、どうなるのだろうか。

毎度の事ながら、ひねくれた視線で勝手に想像してみる。


桶狭間の戦いの際、自国の尾張(現在の愛知県西部)を完全に統治していなかった信長だが、

戦後、その勢いをもって統治には踏み切らなかった。

正確には、踏み切れなかったと言う方が正しいかもしれない。

なぜなら、それだけの兵力や財力を持ち合わせていなかったからだ。

そのため、華々しい戦果の後にも関わらず、尾張一国を完全統治するまでに、約4年間の月日を要した。

また、尾張統一後の次なる標的である美濃(現在の岐阜県)・稲葉山城に対しては、

約3年間に渡って攻略を続けて、ようやく手中に収めた。

その後の活躍は目覚ましく、連戦につぐ連戦、破竹の勢いで勢力を伸ばす。

さらに、当時の尾張楽市楽座の影響ためか、経済が発達し、

そのため尾張兵は弱兵として有名で、戦争の際は必ず相手の数を上回る事を第一ともしていた。

これら一つとって見ても、信長は、非常に手堅い戦略を基本としていた事が窺い知れる。


以上の事から判断出来るのは、もし信長がヘアサロンを経営したら、

むやみやたらと支店を出店するというのは考えにくい。

たとえ何年かかろうと、機が熟すまでひたすら待ち、その後一気に勝負へと出る。

そして、一定の地域内を数の論理で制圧するドミナント戦略を用い、

着々と勢力(店舗数)を広げる事が考えられる。

さらに気が付けば、それまで業界に馴染みが薄かった、のれん分けシステム、

またはM&A(吸収合併)などによって、ジワジワと自社ブランドを高めて行くのではないだろうか。


ただし、注意したいのが、明智光秀の存在。

一瞬の隙を突かれて、他社に買収されないように注意したい。

本能寺の変を、この時代でも起こさないように、くれぐれも注意したい。

では。