理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

種子島時堯がヘアサロンを経営していたら

世は戦国時代。

一隻の難破船が種子島に漂着した。

そう。これが有名な鉄砲伝来の瞬間である。

難破船に乗船していたポルトガル人を引見したのは、島主の種子島時堯。

若干16歳だったという。

はじめてみる鉄砲と威力に興味を示し、

2千両(現在の貨幣価値にすると1億とも2億とも言われている)を叩いて、鉄砲2丁を購入した。

一丁は種子島支配下に治めていた島津氏に献上し、もう一丁は手元に残し、

構造を部下に学ばせレプリカ制作に着手する。

同時に種子島時堯自身も鉄砲の扱いに熟練し、百発百中の腕前だったとも言い伝えられている。


さて、その種子島時堯がヘアサロンを経営していたら。

勝手に想像してみる。

現在であれば、インターネットなどでデジパーの情報を入手し、誰よりも早く導入に踏み切ったことだろう。

商圏内の同業他社が様子見を決め込んでいる時期でも、興味を抱いたモノに対しては、即、行動。

その結果、エリア内でのサロンブランドを構築する。

そう、デジパーなら、あのヘアサロンと言うイメージが定着するからだ。

当然、デジパー技術の研究にも余念がなく、自身が誰にも負けない程の技術を身に付けている事が考えられる。

さらに、もしかしたら、商品開発に対して積極的なヘアサロン経営者になっているかもしれない。

はさみの研磨機、毛の生え方などがリアルなウイッグ、個性的なコーム、

トリートメント剤などの制作に対して多大な情熱と時間を費やすヘアサロン経営者。

それが、現代版の種子島時堯なのだろうか。

では。


予想されるサロン名 種子島

CI 三つ鱗(うろこ)