水野忠邦は江戸時代後期、老中首座(今で言う総理大臣)として天保の改革を断行した人物。
が、抜擢した鳥居耀蔵が、陰険なおとり捜査を行なうなど、その手法は過激で庶民の怨みを買った。
最後は大都市周辺の土地を強制的に取り上げる上知令を打ち出したが、失敗。
その後、鳥居耀蔵などの裏切りもあり失脚した。
戦国武将ではないが、まぁご勘弁を。
さて、その水野忠邦が理美容室を経営したら、どうなっただろうか。
勝手に推測してみる。
最近、よく聞く覆面調査システム。
これは、顧客を装った調査委員が、スタッフの接客やサービスを採点して、
その情報をもとに経営へフィードバックさせるというもの。
飲食店のみならず、理美容業界でも活用されている。
水野忠邦が、この覆面調査システムを活用することは想像に容易い。
それは使い方次第では有用な情報を得られるが、
スタッフとの信頼関係に影響が出ることにも細心の注意を払いたい。
その、さじ加減で失敗する恐れも考えられる。
また、部下に裏切られて失脚したように、スタッフ管理の甘さ、コミュニケーション不足などで、
信頼している店長に顧客管理情報をゴッソリ持ち逃げされる災難にもあいそうだ。
予想されるサロン名 天保
CIは沢瀉(おもだか)