会社にいると、色んな電話が入ってくる。
読者からの質問や、広告出稿依頼、売り込みなどなど、その内容は多種多様だ。
もちろん、クレームもある。
昨日の事だ。クレームの電話が入った。
編集内容だったので、エロ侍が対応することになった。
少し話がそれるが、クレームは、大きく別けて二つのケースからなる。
感情的になっているモノと、思いやりがあるモノ。
前者は相手の話を聞き、こちらに非があれば、ひたすらお詫びすることになる。
後者の場合、こちらに非がある・ないに関わらず、じっくり話し込み、
善後策などについても、ご提案などをいただくケースがある。
前者と後者の大きな違いは、あくまでも個人的な感触だが、
エロ侍が電話に出て名前を名乗った際、先方も名乗ってくれるかどうか、だ。
前者は名乗らない場合がほとんどで、後者はちゃんと名乗ってくれる。
で、先日の話に話を戻す。
ある出版物で、大きな大きなミスがある事を指摘された。
誤植の類ではなく、内容そのものに違いがあり、その数が尋常ではなかったのだ。
しかも、時期的にもタイミングが悪く、即対処を行なわなくては、ダメージが広がるばかりと言う状況。
ただ、クレームと言うか、ご指摘をいただいた方は、思いやりがある方だった事が幸いした。
締め切りの日で速やかな身動きが取れなく、ある程度目処がついた段階で、
電話をくれた方の所へ伺った。
ご指摘以上に、今後の対応策などをご提示いただき、その場を後にしたのだが、
実に暖かみがあるクレームであった。
帰り道、いままでの自分自身の行動について考えてみた。
クレームをつけたことは、少なからずある。
が、それは、自分の都合ばかりを述べ、相手に対して思いやりがあったのかと自問自答すると、
恥ずかしながら、それはない。
クレームをつけるなら、今後同じようなミスを繰り返さないためにも、相手に対して、
抜本的な対応策を、一つでも提案すべきであると改めて痛感した。
かの徳川家康が、武田信玄との三方ヶ原の合戦で大敗を喫した際、
家康自身の苦渋の表情を肖像画と残し、自らの戒めとしたように、
エロ侍も、訂正箇所に付箋を貼られた本をいつまでも戒めとしたい。
そして、なによりも多くの読者や関係者に多大なる迷惑をかけた事を深く反省する。