理容師カフェ‐小さな理容室の販促物語‐

家族経営の理容室が日々、行なっているちょっとした宣伝事例を情報共有します。

ボランティア体験記②

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昨晩、早めに就寝したためか、本日はすこぶる快調となった。

さて、一昨日の災害ボランティアで感じた話の続きを書いてみたいと思う。


と、その前に、服装について触れてみたい。


普段、インドアな生活が中心の方は

午前と午後、そして終了後にTシャツを変える必要性が生まれる。


理由は、簡単。

大量に汗をかくからだ。

なので、首からぶらさげるタオルも2枚は必要となる。


ちなみに、オイラの場合、タオルが絞れるくらいの発汗となった(これが本当の滝汗)。

あとは、長靴と帽子、マスク、軍手(できれば皮手)は必須。


軍手に関しては、今回は幸い皮手が支給されていたので、そちらを使用した。

ガラスの破片などを拾っても、ケガをしなかったのは皮手のお陰である。


話を戻す。


ボランティアセンターから現場へと移動する際

被災者でもある現地のボランティアの方が道案内をしてくれた。


すると…「あそこのシャッターが閉まっている家が、ほら、以前あった、

新潟少女監禁事件(約9年以上にもよる少女監禁)の現場だよ」


「あっ! そこそこそこ。蓮池さん(北朝鮮拉致被害者)家だよ。

あの駐車場の前で、いつも記者会見してたんだよ」


緊張を解(ほぐ)してくれるためか、それともノンキなのか解らない。


まっ、ある意味、新潟・柏崎の裏観光ツアーである。

そんなこんなで到着したのが、半壊現場。


昨日も書いたが、到底、家族4人では片付かない感じである。

まずは、庭に散乱している瓦(かわら)とガラス破片を集めて、一箇所にまとめる。


5分間休憩。


その次は、屋内に入りダブルベッドと

タンスを分解(ぶっ壊してバラバラに)しながら、外へ運ぶ。

すると途中、主の奥さんが着用している下着が、ポロリと落ちます。


焦る奥さん。見て見ぬフリをする一同ですが

しばらくすると、クスクスと抑えきれない小さな笑いが生まれ

奥さんも恥ずかしさから、次第に笑顔。


こうして、殺伐とした雰囲気の中でも徐々に場が和み始める。

その後、違う部屋の中に溜まっている家財道具の移動を手伝う(写真・上。作業終了後は写真・下)。

これは地震と関係ないじゃんかとは思いつつも、もーなんでも来い状態のボランティア軍団。

しかも廃棄なのか、残しておくのか家主の奥さんの確認を採りつつ、

バケツリレー形式で、家財を運び出すので、ちょっと厄介。

「鏡。重いですよー」と運ぶモノを次の人に伝えながら渡し、

次の人も同じ事を言いながら、リレーする。

そこで一計。

アルバムらしきモノが入っている箱は

「お母さん(家主の奥さん)の若い頃の見合い写真が入っているので、細心の注意を払ってくださーい」

と言いながらリレーすると、お母さんにも笑顔がこぼれ始める。

古い人形などは「髪の毛が伸びる人形でーす」と、徐々にシュール加減が増してくる。

これも、全てお母さんの笑顔の為だ。

ボランティア活動を通じて学んだ事の一つとして、モノを運んだり、

掃除をするだけではなく、いかに被災者のネガティブな考えをポジティブにするのか、そこが重要であると感じた。

その為には、まずは笑ってもらう必要がある。

「笑う角には福来る」ではないが、そこもボランティアの腕の見せ所だ。


結局、14時位で全作業が終了し、ボランティアセンターに戻ったのが14時30分くらい。

想像していたよりも早めに終了した。

「今日の作業は比較的、楽だったよ」と現地のボランティアさんは言うが、

また協力できる事があれば、微力ながらも、ぜひ参加したいと思った。


さて、ボランティア日記の最終章である明日は、

被害地で見た事の総括を書きたいと思う。

では。