「飽和状態の美容業で生き残れる術とは」「斜陽傾向の理容業界の活性化に繋げるには」
この両テーマに沿って行なわれたRCCチャンピオンクラブセミナーを受講、取材した。
講師は97年に会社更生法適用を申請して倒産したヤオハンの和田一夫社長。
そして、和田氏と二人三脚で同社を育てた土屋高徳氏。
和田氏が独自の経営論を述べ、そして、土屋氏が教育論を語ると言う形式であったが、
全体としては和田氏が総論を述べ、土屋氏が補足するパターンが多く見られ、
トップと右腕と言う関係が随所に見受けられた。
和田氏は自身の人生を振り返りつつ、ヤオハンの成長過程と、なぜ倒産になったのか、
その自己分析結果を語った。
大きく成長した理由として、右腕の存在が大きいと述べる。
「人材育成が大命題であり、そのため、自分以上の給料を支払ってでも、
その分野に精通し、信頼できるナンバー2が欲しかった」。
独特の人懐っこい笑顔で、土屋氏との出会いを、そのように話すと、
「雇っていると言う関係ではなく、あくまでもヤオハンを育ててくれる協力者、
当時も今も、そのような関係である」ともしている。
そして、なぜ倒産したのか、という点については、今考えると2点あるという。
「第一として、同族経営のデメリットが影響した」と前置きし
「創業当時は、血の結束により、どのような困難にも一致団結して乗り越えられた。
しかし、安定期を迎える頃には、情によって冷静な決断を下せなかった」と。
これは、苦楽を共にした親族への社長交代後、赤字へと転落しながらも、
引責辞任を実行する時期を延ばしてしまった事にある。
「それが、その後の粉飾決算を招いてしまった」。
親族経営のメリット、デメリットを、自身の苦い体験から、そう語る。
そして、2つめの理由。
「銀行からの諫言(かんげん)を、受け入れられなかった」。
当時のヤオハンは香港と中国で業績を伸ばしていたが、日本においては劣勢。
銀行筋は独自の調査を行ない「日本のヤオハンは潰すべきだ」との結論になる。
そして、和田氏に報告した。
「その時が決断する時期であった」と和田氏。
勇気ある撤退が遅れ、それが最悪の結果となってしまったのだ。
「エベレストに登り、一旦下山して、そして再び登ろうとしている。それが今の心境」。
そのバイタリティには、正直、驚かされる。
テーマ本来の内容とはかけ離れたセミナーである印象はあるが、それはそれで面白いと感じた。
地獄を体験した人の話には、やはり説得力がある。
同族経営と勇気ある撤退。
そこに、理美容業界と共通する点があると感じたのはオイラだけだろうか。
では。