ウチの近所に小さな河岸がある。
取り立てて特徴もなく、存在感は薄い。
その河岸では不定期に朝市と言うイベントを開催している。
不定期と言う表現は適切ではないかもしれない。
開催一週間前くらいから、河岸の付近に捨て看板のようなモノを数個設置し、そこでアピールしている。
がしかし、その捨て看板を見付けるのは容易ではない。
むしろ、探す方が難しいくらいだ。
オイラは愛犬ラッキーの散歩中に、偶然見付けることが出来たから朝市の日時を知ったのだが、
近隣の住人で知っている人は何人いたのか疑問が残る。
事実、朝市に来る客数は多くない。
むしろ、商品の価格に対して、なぜこれだけの客数しか来ないのか疑問が残った。
これは、朝市と言う企画を立ち上げた際、アプローチの手段を模索するまで考えが及ばなかった、
もしくは、口コミと言う最強の宣伝方法に頼り過ぎた結果ではないかと思う。
朝市で販売されている品物は、正直、安くて良い物ばかり。
しかしながら、それが消費者に知られなければ意味がない。
地域活性化の一環として近隣最寄り駅とコラボすれば、駅構内での看板使用料金も安くなる。
地域の回覧板に、朝市の開催日時を知らせる配布物があってもおかしくない。
河岸から歩いて10秒の位置にあるオイラの家のポストにすら、チラシが入っていない。
ホームページすら存在しない。
どんなに優れた商品がラインナップされていても、
その存在が、お客に知ってもらわなければ、それこそ本末転倒ではないか。
日々、理美容室で行なわれている各種技術。
その商品(技術)価値を、お客さまは本当に知っているのだろうか。
なにげなく行なっている技術にしても、お客さまが、その効果を知らない場合も多い。
暴論かもしれないが、技術力と言うのは「技術+その内容のアプローチ」
と考えるのは、オイラだけだろうか。
朝市の話に戻す。
確かに、良い物が安かったのだが、何がどれ位安いと言うこと、
それに、商品価値をもっと説明すると、口コミ効果が生まれやすいと思った。
オイラが近所の人に朝市の良さを話す時に、何を話せば良いのか理解していないのだ。
このままだと「朝市は、安いよ」。
この一言だけで終わってしまうからだ。
例えば、張り紙などに
「○○で昨日取れたばかりで、○○の料亭や○○の寿司屋にも下ろしているタマゴ。
前回の朝市では○○○個が数時間で完売。普段、○○○円で販売のところ、本日は80円!」
などと書かれていれば、オイラも近所の人に説明しやすい。
こんなに良い商品が、あんなに安く買えたと言う、ある種の自慢的要素もあるからだ。
口コミを期待しているのであれば、そこまで徹底して欲しいものだ。
本日の朝市で買い物をしている時、そのような事を感じた。
写真は、その朝市での戦績。
タマゴ(L)80円、豆腐(一丁)20円、すじこ200円、
エビ200円、ミカン350円、佃煮(1パック)80円。