今川義元は桶狭間で織田信長に歴史的な奇襲をうけて、あっけなく討ち取られた戦国武将。
織田信長の引き立て役、史上最強のやられ役と言ったイメージが強い。
がその反面、自国の領国経営では今川仮名目録と言った法制度の制定、
独占販売を禁止し課税を免除した楽市楽座に至っては、織田信長よりも早く導入していた。
また、荒廃著しい京都の公家たちの保護にも力をいれた。
さて、その今川義元がヘアサロンを経営していたら、どのような経営形態になっていたのだろうか?
勝手に推察してみる。
まず、自国の法制度を制定した経営手腕から想像するに、
ヘアサロン経営でも間違いなく、ルールが存在するだろう。
それは経営者の仕事、店長の責任、スタッフの義務、
立場による決済権の範囲などの明文化が挙げられる。
楽市楽座を実施した経緯からも、理美容技術だけのサービスのみならず、
エステやヘッドスパにも力を入れたり、
閉店後の時間とスペースを有効活用するために、
特定のサロンに所属しない理美容師に解放する経営(面貸し)などを行なう事が予想される。
さらには、公家を擁護(ようご)して伝統や文化を守る事に力を注いでいたので、
アップスタイルやブロースカット、アイロンパーマ、シェービングなど
理美容師本来の技術の継承・普及にも尽力を尽くす事だろう。
ただし、突発的に発生する税務調査やスキャンダルには充分注意したい。
まぁ、桶狭間での奇襲攻撃を教訓としているから、大丈夫だとは思うが。
予想されるサロン名 海道一の弓取り
CIは赤鳥